新発田市の山奥、県道14号線赤谷の集落付近より分岐して加治川治水ダムに至る県道335号線を走ってきました。
※2016年の旧ブログ記事の移植です。現在では様子が変わっているかもしれません。
0.前置き
赤谷にはかつて鉄山があり、赤谷と言う地名は赤錆の色が由来になっている・・・かどうかはわかりませんが、鉄山があったのはほんとです。
昭和59年までは国鉄赤谷線が新発田駅からおおよそ県道14号線に沿って走っていたのは比較的有名です。
この赤谷線も鉄鉱石輸送のため敷設された鉄道でした。
廃線跡は遊歩道になっていたりしていて、たどるのは比較的簡単ですね。
1.日鉄鉱業赤谷工業所専用線の歴史
さて、本題ですが、今回の目的の一つは赤谷線の終点、東赤谷駅から更に山奥へ伸びていた日鉄鉱業赤谷工業所専用鉄道の廃線跡。
赤谷鉄山自体は官営だったり第一次世界大戦後の不況で閉鎖されてみたり、紆余曲折ありましたが大まかな歴史は下記の通り。
時期 | 出来事 |
1899年(明治32年) | 官営八幡製鐵所管下で開発開始も3年余りで中止。 |
大正初期 | 再度開発が試みられるも中止。 |
1920年(大正9年) | 新発田~箕立沢(赤谷) 製鉄所専用線として開業。 |
1925年(大正14年) | 専用線の一部を無償譲。赤谷線として新規開業。 |
1932年(昭和7年)頃~ | 石炭鉱や日曹鉱業飯豊鉱山の銅鉱など開発が進められる。 |
1937年(昭和9年) | 所有が日本製鉄に。 |
1939年(昭和14年) | 日鉄鉱業が継承。国鉄より1080蒸気機関車が払い下げられる。 |
1941年(昭和16年) | 赤谷鉄山採掘開始。赤谷~東赤谷 延伸開業。 東赤谷~赤谷鉄山の専用線もこの時開業? |
1956年(昭和31年) | 東赤谷~赤谷鉄山の旧線廃止。 1080は栃木の日鉄鉱業羽鶴工業所へ。 後に梅小路へ保存される。 |
1957年(昭和32年) | 610mmゲージの電気軌道開業。 長大トンネルとスノーシェッドで鉱山まで抜ける新線に切り替え。 |
昭和50年台 | 日鉄鉱業閉山。 赤谷鉱業が引き継ぐ? |
1984年(昭和59年) | 国鉄赤谷線廃止 |
1998年(平成10年)? | 専用線廃止? |
末期の方はあまり情報がなくどんなもんだったかよくわかりません、意外と近年まで稼働していた模様。
あんまりまじめに調べてはいませんが、案の定怪しい雰囲気満点の鉄道だったよう。
2.遺構探検
遺構も色々残っています。
これは有名な旧線の方の飯豊川に架かる鉄橋。
昭和31年までB6が走ってた。その後県道橋ができるまで10年ほどは道路橋に転用されていた。
なんか文字が見える気がする・・・。
現役時代の文字か・・・。ヤンキーの度胸試しか・・・。
赤谷方面よりダム方面を見ています。左手に先ほどの鉄橋。
この直進方向に新線の終点があったぽいが草ぼうぼうで進撃できず。
途中の道路橋は橋脚が旧線の転用。
ちょっと山に入ると新線のトンネルを発見。
入り口すぐで閉鎖されていた。
新線の鉄橋もあった。
ここ以外のトンネルの出入り口は発見できず。
気になる。
加治川治水ダムから山を登ると坑道の跡とか鉱山トロッコとかあるらしい。
いずれにしてもまた探検に来たいですね。
3.探検車載動画
往路編
道路の方がメインな感じです。
オタク三人の怪しい会話をききながらどうぞ。
復路編
こちらは鉄道の痕跡メインな感じ。
4.おわり
山奥の専用線で情報もあまりないけれども怪しさとロマンに溢れるr335。
SLの煤が残るスノーシェードを抜けるだけでも楽しいのでぜひ一度ドライブやツーリングにどうぞ。
冬季通行止めなのでお出かけ時期にはご注意を。
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